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タロット

方丈記で神の家に吹き込む炎の意味を理解した

 マルセイユ版の「神の家」は天から吹き出した炎に焼かれているよね。この炎を、落雷と解釈して、それに打たれる図像を描いちゃった例はたくさんあるし、なんかピシャーン、ゴロゴロゴロ、ドッカーンとなって高いタワーのてっぺんがへし折れたりしたらイメージ的にはかっこいいと思うのかもしれないけど、落雷が石づくりの塔に落ちたからと言ってたいした破壊力はないはずなんだよ。


 しかし、マルセイユ版「神の家」の天から吹き込む炎というのも、なんかよくわからんわけ。大道芸師の火吹き男が口から吐くような炎。画面の外で天使が火炎放射器をもってる、なんていうのは飛躍しすぎ。火山の爆発による炎はこんなふうに吹きつけたりはしないだろう。自然現象でこんな炎が発生することってあるんだろうか。だから長いこと、この吹きつける炎のことは気になっていたのね。
 先日、方丈記(中野孝次「すらすら読める方丈記」講談社文庫)を読んだ。安元3年(1177)4月に京の都の大火災の様子が書かれている。大きく燃え広がった町の炎は、「天から吹きつけてくる」ものらしいのね。中野孝次氏も「猛火というものは空から地に吹きつける」ことを自らの戦争体験で目撃したことがあるという。


 16番「神の家」が空から吹きつける炎に焼かれる塔だとしたら、大火災を暗示していると解釈できるな。同グループの7番「戦車」から、戦争による大火災と破壊。
 このあたり「タロットの災害シリーズ」になってんだろうかね。などと前後のカードを思い出しながら考えた。15番「悪魔」は疫病だなあ。病気は悪魔の仕業とされた。14番「節制」は、津波とか洪水とか。津波がやってくると地上のなにもかも水に飲み込まれてぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、洗い流されてしまう。13番(無題)は飢饉。いかにも飢えていそうな人が描かれている。ウクライナで起きた大飢饉ホロドモールは農民がつくった作物をぜんぶ搾取した結果起きたそうだけど、「昔話に出てくる農民」はいつも飢えと隣合わせという先入観が私にはあるのだが、映画「七人の侍」だと、「百姓は床下などに大量に作物を隠して年貢をごまかし、武士よりずっとしたたかに生きている」ことになっていたな。


 疫病の蔓延は、コロナのおかげで半世紀以上生きていてはじめて身近なものとして感じ、地震や津波よりも影響力が広範囲でしかも長期間続くので、天災の中で一番怖いのは疫病だと思ったりしたのだけど、方丈記を読むと一番怖いのは飢饉かなあと思うようになった。「火垂るの墓」の著者、故・野坂昭如氏が自らの戦争体験を語ったインタビュー記事の中で「食べ物が町からなくなるときは一瞬でなくなる」と言っていた。流通が止まってしまうと店の在庫はすぐに底をついてしまう。東日本大震災のときも流通が止まり、食料やサバイバル用品を求めてお店にお客が殺到したらすぐに商品が底をついてしまうのを見た。作物が取れなくなったり大きな輸入国からの供給が途絶えたら食料は町から一瞬でなくなる。その後、食料供給が復旧しなかったら何日生き延びられるだろう。地震や津波は逃げようはある。コロナもあまり死なない。人々も協力し合う。しかし、食料がなくなると逃げようがない。健康な人も病気の人も飢餓にくるしむ。食料争奪戦がはじまる。警察、自衛隊、行政機関、病院、交通機関、物流、どれもまともには動かなくなるだろう。方丈記によると、飢饉が起きても国は「祈祷するだけ」で民草の救援はなにもしなかったという。なにもしなかったのか、なにもできなかったのか。食料備蓄庫を開放したところで、一瞬で消えてしまうだろう。
 野坂昭如氏によれば、食糧難から逃れる方法は自然の近くに住むことらしい。つまり、畑をやって暮らすとか、海で漁を山で狩りをして暮らすとかね。これはつまり17番。


17番の星のカードは豊かな自然。大いなる回復力の象徴。13番からはじまり16番まで続いた災害シリーズは17番で終わり回復に向かう。でも、そういうことができる境遇にある人は限られていて、だれもがそうできるわけではない。だから食糧難は怖いっすよ。