幽体は霊なのか脳なのか

 幽体離脱ができるようになったとき、私は次のように考えました。

 「脳は肉体というロボットの操縦席のようなものである」。

 肉体から幽体になって分離し、自分の肉体をながめるわけですから、しごく当たり前の発想だと思います。有機体でできた人型ロボットに心(自我)というか霊魂というか、それがパイロットとして乗り込んでいるわけです。パイロットの意識活動はロボットにダイレクトに伝わるし、ロボットが受け取った外界の情報は、パイロットに伝わるというわけです。そして幽体離脱は、パイロットの操縦席から脱出です。

 このモデルに酷似したロボットが、「ジャンボーグ・エース」という円谷プロの特撮ドラマで出てきたのを覚えています。宇宙人から地球人への贈り物であるロボット「ジャンボーグ・エース」に乗り込むと、主人公の手足や頭に電極らしきものが取りつけられ、操縦室でキックやパンチを繰り出すと、ロボットはそのとおりの動きをする。そしてロボットが怪獣から攻撃され、ロボットが地面にたたきつけられたりすると、苦痛はパイロットにも伝達される、というような設定だったと思います。なかなか過酷な乗り物ですけど(笑)。

 ところで脳に電気刺激や電磁波刺激を外部から与えると、幽体離脱が起きるという実験結果が報告されています。「だから幽体離脱は脳に備わっている機能だ」という人もいるんですね。唯物論・唯脳論信者の人々は、「霊なんて存在せず、すべては脳がやっているのだ」と言ったりします。しかし先のロボットのモデルで考えると、肉体ロボットには脱出用のレバーがついているかもしれません。つまり脳には魂を肉体から切り離すスイッチがあるのかもしれない。そして幽体離脱をマスターした人は、意識的にそのスイッチを入れる事すらできる。

 唯物論(または唯脳論)と唯心論の対立はどこまでも続きます。ところで逆に唯心論者は脳が考えていたらなにが気に入らないのでしょうか。「心は不可視のなにか(あるいは不可視の超物質)」なら納得でき、脳の活動が心を作るのだという考えには納得いかない。でも不可視の心の仕組みを考えずにはいられないのです。それで霊体の構造や魂の進化プロセスの理論を掲げて心霊学をブチ上げたりもするわけですが、結局それは脳科学と目指している事は同じとも言えます。脳科学は脳の活動が自我だと予想したり、心霊学は不可視のなにかが自我だと信じたりするわけですが、研究の姿勢は異なるとはいえ、その仕組みや構造を考えているという点では、脳科学も心霊学も同じに見えてきます。両者の間で導き出される世界観はまったく違うものになるでしょうが、「心のマテリアルをどのようなものと認識するか」という違いにすぎません。

 唯心論者はなにゆえ脳が心であって欲しく無いのか。これが問題だと思います。恐らく死後の生命・不滅の命があってほしいということでしょう。脳が滅びれば心も滅ぶとは考えたくない。脳は肉体とともに滅びるので、脳が心であってはならないのです。逆に唯脳説を支持するのは、死後の命など有ってほしくないと思っているというのが自我の根底にあると思います。どっちも支持せず関心も示さない人は死後の命なんてどうでもいい。考えた事もないということでしょう。ある意味とても健全かもしれませんね(笑)。

 幽体離脱体験は、唯心論者にとって自らの信念を補強する出来事として映るでしょうが、幽体だって肉体があって成り立つものかもしれません。ロウソクの炎が、蝋と芯によって燃え続ける事ができるように、心(ロウソクの炎)が不可視のなにかであっても、それは肉体(ロウソク)によって支えられているのかもしれません。不可視の超物質で心ができている可能性があるとしても、さりとてそれが死後も存続するとまではいえないのです。

 では唯脳論が客観性があって科学的かというとそうでもないようです。科学的な立場で唯物論的唯脳論を強固に主張しようとすると、困った事になります。「光文社・カッパ・サイエンス「脳・心・言葉(栗本慎一郎「自由大学」講義録D)」」という本の中で養老孟司氏は次のように述べています。

 科学というのは、ある客観性、実証性を必要とするものです。実証性がないものは、否定されます。ところが、脳の科学は、この矛盾をはじめから抱えています。なぜなら、「これが実証的である」「これが科学的である」とか「正しい」「正しくない」という判断は、脳が下しているからです。よく、文化系の人が「脳が脳を調べて何になるのか」と言いますが、確かにその問題はあるわけです。
(中略)
 つまり、脳の科学をやりつつ、十九世紀以来の自然科学の形態を保存しようとしたら、心と体は別のものとして、切り離さざるを得ないのです。実証科学をなり立たせるために心身二元論を採らざるをえない。さもないと、自分が正しいと思ったことがほんとうに正しいのか、脳の中で調べるということを始めなければなりません。

 唯脳論も心霊学も実証されたものではなく、どちらも信念体系です。心の実体は幽玄にして捉えがたく、客観性を保ちつつそれを解明することは非常に困難です。ここより先に踏み込もうと欲する人は、唯脳論であれ唯心論であれ、いやがおうでも信念をもって意識して信仰と呼ばれる領域に踏み込んでいかざるをえないでしょう。

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