よくある質問への回答

1.幽体離脱は宗教と関係があるのか?

 大変根深く関係しています。多くの宗教思想の神話の源泉になっているのでないかとすら思えるほどです。また宗教教義の中に、幽体離脱体験を組み込んでいるものすらあります。西洋魔術もその一つですし、ヨーガや密教の中でも、ある程度修行が進むと、このような経験が起きるとされています。ですがどの宗教も幽体離脱経験には重きをおいておいらず、一つの通過点と見なしているようです。私も同意見です。
 宗教体系の中で温存されてきた幽体離脱ですが、それを引き起こす方法は技術的なもので、練習すればできるようになるものでしょう。
 出所を抹消して、「これは科学的なことなのだ」と喧伝する向きが昨今よくみられますが、その出所が宗教にあることを忘れるべきではないでしょう。
 精神世界/宗教/オカルト的な求道を志す人々への最初の手ほどきとして、当サイトのコンテンツは書かれています。

2.体外離脱と幽体離脱は同じものなのか?

 同じものです。
 「体外離脱」という言葉について、モンローは次のように述べています。

『初期の文献ではこうした経験は普通「幽体離脱(アストラルプロジェクション)」と名付けられていた。私はこの用語がオカルト的意味合いをもち、我々の基準からすると確かに非科学的といえるので、まずこの言葉を拒否して、使わないところから始めた。心理学者で私の友人であるチャールズ・タートは私たちが六十年代に一緒に研究していた時に「体外離脱」という用語を普及させた。過去二十年の内にこの言葉は西洋においてこの特別な状態を表現する一般的な用語として受け入れられるようになった。』 (「魂の体外旅行」日本教文社/刊 ロバート・A・モンロー/著 坂場順子/訳 初版 第1章 通い慣れた道 p3)

 モンローは自らの体験がアストラル・プロジェクションであることを認めています。

 また「非科学的だから呼び名を変えた」といっても、呼び名を変えれば科学的になるわけではありません。物語や寓話としての色合いの濃い、この本から伝わってくる雰囲気から想像すると、『科学と非科学を分ける「我々の基準」とはどのようなものだったのだろうか?』、などと気になってしまうのですが、彼の本は書店で魔術本同様、精神世界コーナーに置かれています。
 念のため言っておきますが、私はモンローの著作を嫌ってはいません。若いころは夢中になって読んだものです。

 当サイトはイギリスの魔術師W.E.バトラーの方法を元にしており、幽体離脱(アストラル・プロジェクション)と表記しています。バトラーは「アストラル」や「エーテル」について理論的に説明しており、その定義から言えば、この呼び名は妥当なものだと私は思います。

3.戻れなくなったり死んでしまったり病気になったりすることはあるか?

 バトラーは心臓に負担をかけることがあるが、戻れなくなったりする心配はないと考えていたようです。心臓に負担をかけることについては、私も完全に同意します。心臓に深刻な持病がある方は、心臓麻痺などによる死の危険はあると考えます。
 バトラーの師匠であるダイアン・フォーチュンは、戻れなくなると植物人間のようになって、やがて置いてきた肉体は衰弱して死んでしまうと思っていたようです。
 私もこれまで何度か一時的に戻れなくなり焦った事があります。しかし離脱した回数に比べれば微々たるものです。また、帰りたくないのに戻ってしまうように普通はできています。
 これまで離脱ができる人々と話をしたことがありますが、皆概ね安全なものだと考えていました。私も健康な方が行う場合はまず心配はいらないと思っています。
 離脱からの帰還をしっかりと行わないと、幽体が肉体と不完全に結合したままになる時があります。また毎日のように離脱を繰り返し、それに耽るようになるの禁忌で、慢性的に結合がゆるくなります。すると免疫力が低下して病気になるリスクは高まると思います。

4.物質世界に影響を与えることはできるのか?

 普通はまずそのような事は起きません。遠隔地の偵察(=透視)、他人との交信(=テレパシー)、などは実験してみるとほとんど失敗に終わります。
 また離脱している姿を他人に見せることもできないでしょう。ただしモンローは他人に目撃されたり、他人の腕をつねったらその人の腕にアザができたという体験談を書いていたと思います。それを毎回確実にできるなら、世間がひっくり返るような大発見になりそうなものです。
 「幽界で窓ガラスを壊したら、物質界の窓ガラスも割れた」と報告してきた方もいました。そこで私は「もう一度やってみたら?」と言ったのですが続報はまだありません。
 幽体離脱にはこのような不確実性がつきまとっています。ごく稀ながら、物質世界に影響を与えた例が報告されます。しかし数少ない例外は、そんなことがほとんど起きはしないことの証明のようなものです。
 私自身はこのようなサイキックな経験はないのですが、バトラーによると、物質化霊媒などと呼ばれる、生まれつき特殊なエーテル体をもった体質の人には、そういうことができるそうです。
 しかし自著の「幽体離脱入門」にも書いたように、現実とのシンクロニシティが発生することが時々あります。私はサイキックな方向よりも、こっちの可能性に注目しています。
 「強く願望を持ち明確なビジョンを持てば夢は実現する」と言われますが、魔術でも同じ考え方をします。アストラル界の出来事は、やがて物質界に降りてくるのです。それゆえに積極的に強固なビジョンを作ろうとします。光体法も実はそういうことで、はじめは想像にすぎないのに、やがて本当に幽体離脱が起きるのです。

5.他人に乗り移ることはできるのか?

 私はできませんでした。知人の中には「相手の思考を読む」ことができたという人もいました。「しかし相手の体をコントロールすることはできなかった」そうです。道ゆく人に目をつけて、相手の頭に自分の幽体の頭をつっこんで、帽子をかぶるように脳をかぶるんだそうです。すると相手の頭の中に流れている言葉が入ってきたそうです。だいたいはくだらない自己との対話が流れているそうです。
 ことこの分野においては、他人の真実が自分の真実とは限りません。このような事例にかかわらず、どうなるか知りたければ、まずは自分で試しましょう。あらかじめ決めておいたことを試すことができるのが幽体離脱の利点です。

6.どれくらいの練習時間が必要か?

 私の場合は約三ヶ月でした。一日から一年くらいの開きがあります。二〇年かかって幽体の腕だけはずれたという方もいました。バトラーの弟子にも七年かけて成功した人がいますし、諦めないことが大切です。私も「まあダメかもしれないけど一生続けよう」と諦めムードになってきたころに成功しました。
 光体法だけやってたらよいというものでもなく、弛緩法や呼吸法、周天法など総合的に練習するのが早道です。
 それから早く成功したとしても、一発芸でそのあとさっぱりできないとか、離脱してもほとんど自由が利かないとか、そんな経験しかできないならつまらないですね。
 あせらずに地道に練習するのがよいと思います。

7.光体法以外の離脱法はないのか?

 あるようですが、私は自分が使っている方法のみを語ることにしています。できるようになってしまうと、他の方法はどうでもよくなってしまうのです。信じてもいない又聞きの技法を紹介する気にもなれないです。
 モンロー氏の方法も光体法と似たようなものですし、他のもその類似品が目立ちます。
 なにか「まじない」のような方法でできるものでもないと思います。
 武術や整体法や舞踊やピアノなど、様々な身体技があります。そして訓練メソッドも様々なものがあります。しかし体ができないと、なにをやってもダメともいわれます。
 そういう技なり術なりを使うための体を作る必要があり、体ができるまでどんなメソッドも真価を発揮しないと言われます。肉体がそれ用に変化するには、それ相応の時間がかかります。(最初からそれ用に適した体を持っている人もたまにいますが)。
 幽体離脱や瞑想法に適した体を作らなければなりません。そのための呼吸法、弛緩法、周天法です。

8.金縛りにならないと離脱できないのか?

 幽体離脱したくて金縛りを目指すのは、あまり意味はないでしょう。幽体離脱を目指してください。
 金縛りは思春期に起きやすいと言われ、それを経験した人々はたくさんいることでしょう。しかしそれだけで幽体離脱が起きるなら、もっと当たり前のものになっていたはずです。
 充分に弛緩できていないと金縛りになりやすいです。膝を立てて寝る方法や、密教流離脱法もそうですが、不自然な姿勢のものは金縛りになりやすいです。不自然な姿勢だと、意識のレベルが安定せず、長時間離脱するのも難しくなります。
 幽体離脱には充分な肉体の弛緩と自己の重心点を移動させる事が重要です。

9.幽体離脱で犯罪的行為をしてもよいのか?

 アストラル界は物質世界とは別の世界なので、たとえ殺人を犯したとしても、それが現実となることはまず無いでしょうが、お勧めはしません。
 アストラル界は自分の無意識が映し出される空間で、また幽体離脱中の人があまり勝手な事をしないように妨害してくる場合があります。たとえば「なに者かが現れ行く手を遮る」とか、「部屋に閉じこめられて出られなくなる(ただし肉体に戻ることはできる)」といった表れ方をします。
 なぜそれが妨害と思うかというと、そのときの場の空気です。はっきりした根拠はないですが、不穏でヤバイ気配が漂い、無理しないほうがよさそうな感じがするのです。
 ダイアン・フォーチュンは、アストラル界には警察機構が存在すると言ってたりもします。無意識の底は他者の無意識と共有されていると心理学では言われたりしますから、そこを個人のエゴで引っかき回すのはなにか都合が悪いこともあるのかもしれません。
 それからアストラル界は古来より鏡の世界と呼ばれます。どのような行いも本人に返ってゆくでしょう。

10.幽体離脱は脳内幻覚なのか?

 この問いの前提からいえば、物質世界も脳が見ているわけですから、物質世界も幻覚というものです。正しいと信じる幻を見ているだけです。
 般若心経を要約すると「すべては幻である」ということになるのですが、そういう意味あいですべては幻です。
 魔術的にとらえると、意識がどの世界の幻を見ているか、物質界なのかアストラル界なのか、という違いです。モンロー氏なら「フォーカス」というでしょうし、精神世界で一般的な言葉でなら「同調している世界の波動(振動数/周波数)の違い」というでしょう。とはいえ、これらは交錯し混乱していて、まったく同じと言い切るのも無理がありますが、元々混乱している界隈です。
 「脳が幻覚を見ている」というとすぐに分かったような気になりがちですが、「脳」という言葉は昨今、ただ「意識とその在処」を指し示すシンボルとして使われているにすぎず、意識がとりあえずそこにあることにしておく」程度の意味しかありません。
 脳細胞をいくら調べたところで、そこに見えてくるのは物理学的・化学的物質で構成された機械的構造のみであり、意識もクオリアも決して見つかりません。なぜ脳細胞がクオリアや意識を生み出すのか、そもそも脳細胞がそれらを生み出しているのかすら、なんら確かな事は分かっていません。意識の活動に脳は大きく関与しているとは言えますが、肝心の仕組みは相変わらず謎のままです。
 森羅万象を脳細胞が見ているのではなく、意識が見ているのです。意識の他にも「心」「アウェアネス(気づき)をもつ者」「見る者」「精神」「魂」様々な呼び名がありますが、そういう不可視の実体が見ているのです。意識から見たとき脳髄は道具的存在にすぎません。
 オカルティズムでは意識の働きを「脳」や「クオリア」といった言葉でひとまとめにするのではなく、エーテルやアストラルといった概念を持ち込み、意識の層を細分化して対象化し扱ってきたのです。クオリアなどの概念が出てくるずっと昔からです。

11.死後世界や地球外の星や神話的な非現実の世界に行けるか?

 肉体から離脱する経験は、死後の世界(霊界ということにしておきます)を思わせます。ですが最後は肉体に帰ってくるし、臨死体験者も帰ってきたからそれを報告できるわけで死んだわけではありません。だからこれらは死後の世界があると実証したことにはなりません。ですが死後の世界では無いことにもなりません。霊界ラジオや無線機が発明されたら話も変わってくるのですが。
 あたかも死後世界のように思える場所に行くことは可能でしょう。亡き人と会うこともあるでしょう。私はそういうことがありました。桃源郷やシャンバラに行くこともできるかもしれません。見たことも聞いたこともない美しい場所に行くことはよくあります。ときにはそれが地球ではないよその星に思えることすらあります。これらは行こうと願って行ったのではなく、勝手にそこに誘導されたような感じです。
 極寒の砂漠の火星、灼熱地獄の金星、太陽の表面を歩けるか。あるいは作家によって作られた物語の世界に入りこめるのか。空想ならそんなことも簡単ですが、幽体離脱では難しいでしょう。
 幽体離脱には空想ほどは自由にはならない不自由さがあり、それが「現実感」を醸し出してもいるようです。
 ですが「他の人にできた/できないから自分もそうだ」と決めつけても無意味で、他人の真実は自分の真実とは限りません。ご自分で試してみてください。
 ところで死後の意識が経験できるかどうかについてですが、生きていながら死んでしまった人々がいます。いわゆる覚者とか悟りを開いた人と呼ばれる人々です。
 彼らもやがては肉体の死を迎えますが、もともと死んでいます。ブッダもその一人ですが、けっこうたくさんいるようです。彼らの言葉から察すると、死後の意識は幽体離脱とはだいぶ異なるもののように思えます。死後を知りたいのであれば、悟りを求めたほうがよいでしょう。

12.「これは幽体離脱だったのでしょうか?」は愚問

 幽体離脱に成功するとはっきりとわかります。「離脱したように空想してみた」といった絵空事や、「そんな気がした」といった、微妙であいまいなものではないです。
 しかし私も他の人も、あなたが幽体離脱したことを見る事はできません。
 幽体離脱は完全に目覚めた意識で幽界に行くことです。他人に尋ねている時点で、それは寝ぼけていたのです。だからそれは幽体離脱とはいえません。
 誰かに認定してもらおうなどという欲求は即刻捨てて下さい。自ら確信できない経験なら、まだ充分ではありません。
 確信をもってよい一つの目安は「はじめに決めておいたことができるか?」です。離脱したら手を見るとか鏡を見るとか、目標を設定しておき、それを達成できれば成功したとみなしてもよいでしょう。状況によっては実行不能な場合もあります。鏡が見つからなかったとか。しかし見ることを忘れず実行しようとしたのなら成功です。
 それから幽体離脱をしたと想像/空想することと、幽体離脱は別の経験です。光体法は幽体離脱したと想像をすることに似ています。それを通じて幽体離脱が起きますが、起きた現象と想像することは別のことです。

13.ヘミシンクで幽体離脱できるか?

 ヘミシンクを長年やってだめだった人が、光体法で成功したという報告はよく入ってきますが、逆も真なりということも考えられます。人はいつまでも同じ方法でうまくいかないとき、他の方法を探すのは当然だから、私のところには必然的に光体法で成功した話が集まります。
 一つ注意してほしいのは、あまりあれこれとやり方を変えないことです。例外もあるとはいえ数日でほいほいできるようなものじゃないです。
 ヘミシンクでも光体法でも「これで行く」と決めたら、半年から一年くらいはそれに専念しましょう。その間、両方併用したりすると、どちらの方法が功を奏したのか分からなくなります。
 ある方法を一年やってダメなら、自分には向いてないと思ってもよいのではないですか。そのときは複数ある選択肢のうち、一つを消去できます。両方一緒にやると「混ぜたことによってうまくいかないのでは?」という可能性が出てきますし、どちらの方法が正しいのか、あるいは自分に向いているのかも分からないままです。
 「二兎を追う者は一兎をも得ず」。まぜたりせず、複数の道を一つずつ消していくほうが効率的です。すべての道が消えてしまったら、そのときは混ぜてみるのもありでしょう。
 『覚悟』というのも重要で、腹が決まらないからあれこれ手を出してしまうんです。それこそがうまくいかない理由かもしれないですよ。

14.恐怖体験をすることはあるか?

 あります。幽体離脱が初めて起きたとき、激しい心臓の動悸、金縛りや幻聴・幻覚が起きやすいです。死の恐怖も頭をよぎります。ホラー映画にでてくるような、化け物を見たこともあります。怖くて何度もこの地点で引き返したことがあります。しかしこのようなことはあまり多くはおきません。
 離脱後、アストラルでやはり同様に、危害を加えてくる存在や、幽霊やモンスターのような気持ちの悪いものと遭遇することも少なからずありました。しかし必ず肉体に戻ってきて目覚めるので、後から思えば悪夢を見たのと似たようなものです。
 不安をもっているほど、そういう目にあうリスクは増えるようです。「アストラル界は自らの心を映し出す鏡」といわれます。しかし「怖がらなければ絶対そんなことはない」などというのもおためごかしで、意に反することは起きるものです。自覚の及ばない無意識も映し出されるからです。
 怖いのが嫌なら幽体離脱はやめておいたほうがよいです。できなくても人生で困ることはなにもないし、他にも楽しいことはいっぱいあるではないですか。

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