記憶は共有されているのか?

幽体離脱には人物に会って話をすることがあります。こちらの質問に相手が答えたりもするわけです。すべてが記憶の中の世界だとして、この他人はいったいだれなのでしょうか。自分が一人芝居してるんでしょうか。しかしその自覚はないし、相手からは予想もつかない返事が返ってくることもあるのです。意識の中には内在者ともいうべき、様々な人格が潜んでいて、幽体離脱するとそれがちゃんとイメージをまとって目の前に現れ、語らう事ができるのです。これらの人物の記憶は、自分の脳に蓄えられているのでしょうか。ではその記憶を読み出して再生している自分以外の意識は、いったいなんなのでしょう。自分の意識がコンピュータのマルチタスクのように働いて、幽界空間で複数の人格を演じているのでしょうか。

記憶(=データ)というのは不思議なものです。それは本質的に量はあっても大きさ(広がり)を持ちません。どういうことかというと、年々コンピュータのハードディスクの容量は増えてゆきますが、その物理的サイズはほぼ一定です。記録密度が上がって、同じサイズの箱でも、たくさんの情報が詰め込めるようになっていくわけです。記録媒体の上でデータは一定の広さを占有します。これは米粒の上に10文字書けるか1000文字書けるかというような技術的限界の問題なのであって、データそのものは空間の制約を受けるものではありません。

人生上の様々な経験が、どのような形式でどこに記憶されるのかは謎です。それを突き止めた例を私は知りません。しかしそれがどこかに記録されてることはほぼ確実だと思います。なんらかの形式でどこかに保存されていなければ、思い出す事などあり得ないからです。ところがそれがどこにあるのか誰にも、わからないというわけです。

ところで幽体離脱で行く世界が個人の記憶の中の世界だったとしたら、その個人が知らない事はその世界には現れないでしょう。たとえばその人が南極や月に行った事がないなら、その記憶は無いのだから、そのような世界に行く事はできない。知らない人と出会う事などない。ということになります。しかし実際問題として、そういう事は起きるといえます。これは経験上明らかです。ではその記憶はどこから来るのでしょうか。テレビや小説で拾った情報から、意識が紡ぎ出した記憶かもしれません。あるいは心理学でいう集合無意識なるものから来るのかもしれません。つまり自分以外の記憶とどこかでつながっているのかも。集合無意識があるのであれば、集合記憶なるものも存在するでしょう。臨死体験では三途の川を見たとか、多数の経験者にある種の共通性が見いだせます。となったとき記憶は脳にあるというよりも、どこか不可視の別次元に存在しており、脳はそのデータベースにアクセスする端末なのかもしれません。そこには個人の記憶もあり、大勢で共有されている記憶もある。そして個人記憶は権限機能によって他者には読めないようにプロテクトされているのかもしれません。こういうモデルが、よくオカルトで出てくるアカシックレコードというものです。天地開闢以来のあらゆる情報が記録されている記憶庫です。記憶が蓄えられるモデルを考えていくと、脳細胞に保存されているという説もさることながら、このような記憶庫の存在も見えてきたりするものです。 脳にすべての記憶が入っているというのも、あまりに長期にわたる膨大な記憶の量を考えたとき、ホントにそんなに大量のデータが格納できるものだろうかという疑問も出てきます。まあ分からない以上、圧縮記録されてるとか、ホログラムのように記録されているとか、いくらでも理屈を考える事も可能ですけど。

幽体離脱で行く世界が記憶の世界だとしても、記憶の実体が何であるか分からないし、どれほどの深さと量があるのか、底が知れたものではありません。この宇宙がそうであるように記憶の世界も幽玄たる世界です。この地上世界の精密な複製物であり、それはどこかに記録されており、しかも日々更新されています。脳の中か、エーテル体か、それともどこか未知の次元にあるアカシックレコードかはわかりませんが。個人記憶を越えて、集合記憶なるものも存在するかもしれない。そのときは脳の中だけでは説明が付かなくなるでしょう。

さて、ここまで来たときに、そもそも空間とはなんぞやという疑問にぶち当たります。VRがそうであったように、空間の情報(記憶)があれば、人間にとって空間は再現できるのです。あらゆる肉体感覚も再現できます。人の意識はそのように作られている。これは幽体離脱が実証しています。幽体離脱が実証されていないという反論はあると思いますが、それは先にあげたシュタイナーの超感覚的知覚と同様、それを意図的に引き起こす事ができ、何度も経験を積んだ者にとって実証不要の公理というものです。

我々が現実と呼ぶこの世界とて、情報そのものにも見えてきます。森羅万象すべてが情報です。我々の日々の意識活動を通じて、物質世界の情報は記憶庫にコピーされている。幽体離脱はその記憶庫に入って、その記憶空間で活動することかもしれません。そしてその時、意志とそこから派生する思念に応じて、その記憶空間は術者が望んだ情報を開示させます。つまり「ある場所に行きたい」と念じ、その場所に行けるということは、その場所の記憶にアクセスして、幽界というコンソールにそれを投影するということです。バーチャル空間で情報を操作するオペレーティングシステムであり、そのシステムを操作する鍵は、ひとえに意識の使い方にかかっているのかも。

幽体離脱が記憶の世界だったとしても、それは探検するだけの価値がある、広大な空間であることは確かだと思います。

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