1999で人類は滅亡しなかったけど、そのあたりを境に変わったというのは確かだったりする。なにが変わったかというと世の中の雰囲気ね。インターネットの出現はかなり大きくて、ネット出現以前をふりかえると情報統制でもかけられていたかのようにも見えたりもする。そういうわけではないんだけどさ。 それまでは生まれ育った場所とその中で知りあった人々との交流が主で、まったく見ず知らずの人々が今のようにネットでメールをやりとりするような事はなかった。つまり小さな集団がパーテーションで仕切られていたのだが、その垣根が取り払われた。情報の流れ方が変わったんだよね。個人が情報を発信でき、また検索システムが充実するにつれ、それまでは見えずにいた情報に人々は気づきはじめた。ネット以前の状態と現在を対比し、それを相対化しつつある。ゆえにどんどん古いシステムが壊れつつある。
1999は終末ないしは変化を呼びたい人々の思念を結集するためのシンボルとして機能した。確かにそれまで言われていた、人類全体が滅亡するような巨大な厄災は起きなかったが、精神面では大きな変化は生じたといえる。 世紀の切替というのは、あまり目立った変化がないものだけど、それから10年20年して、その世紀の魂ともいえる時代霊が目覚め始める。2012年というのはちょうど頃合いのいい時期かもしれないし、数年くらいの誤差があっても、それはかまわないのだ。所詮シンボルだからね。どれくらいの規模なのかよくわからないけれど、今、さらなる変化をもとめている人々はかなり多いんじゃあるまいか。またそういう人々が2012のような目標としてのシンボルを求めたりもする。これは多数の群衆による儀式魔術のようにも見える。
ある宗教団体は、毎年「富士山爆発しないでね」と祈りを捧げていて、「それゆえに富士山は爆発しないのだ」と信じているそうで、これは昔のインディアンだったか昔のアフリカ原住民だったかの話で、「わしらが毎日祈りを捧げるからお天道様が昇ってくれるんだ」、という呪術思考でもあったりするのだけど(笑)、大勢が願うようにする仕組みを作ってやると、その願いは成就するのかもしれない。ただしその成就は直裁には成就しない。精神世界の情報は、そこんとこ誤解していると、あらぬ方向に脱線していってクズ置き場に到着しちゃうので要注意だったりする。 願いとはアストラルやメンタル次元で働きかけるもので、それゆえに人々の集合無意識には作用するが、物質的な次元まで直接干渉はできない。しかし物質次元と形而上的次元の間を媒介する存在が居る。それが人間だったりする。この次元の断絶はひねりが利いていて、富士山爆発しないでねというのは、自分たちの心の中で富士山がどういうシンボルになっているのかを考えるべき。それは教団にとってのご神体であったり、自分たちの心の拠り所であるかもしれない。広義に解釈すれは富士山は日本人全体にとっても、なにか民族としてまとめるイコンであったりする。それが破壊されないように、という願いとみなせる。(しかしそれはいつか爆発すると知っているから、逆に祈るのかもしれないな)。 太陽が昇りますようにというのは、心の中にある太陽が毎日昇りますようにということだったりする。部族一同平和に健康にくらせますようにといったところ。 富士山も太陽も物質でできているとはいえ、結局これが物質だといってるのは他ならぬ人間の意識なのだ。私たち人間は、結局は心の視野に再構築された、物質と呼んでいる「それ」の像をながめているにすぎない。願いをかけるといったとき、それは外にあるそれではなく、内に形成された感覚や概念に対して願いをかけているのと同義なのである。 本当に人類が滅亡しますようにという願いをかけてるなら、それはその人に滅亡が訪れる可能性のほうが高い。
2012年のその日になりました。はい、天変地異も戦争も事件もなにもありませんでした。2012年にはなんの意味もなかったのです。あなた、だまされちゃったのよ、あはははは。というような思考法は、それが俗に科学的な視点と呼ばれているものかもしれないけど、この問題についてはそんな単細胞の発想法はやめて、どんなふうに人々の精神が変化していくか、その波をウォッチしたほうがいいと思う。 だいたい今にいたる大変化のトリガは92?94あたりにあったのね。もちろんこれはメンタルやアストラル次元で起きる変化のことだけど、これがファーストインパクトということにしておこうかな。 1999同様セカンドインパクトは2012に人工的に設定されているけど、根拠はともかくとしても、時期の取り方としてはなかなか良い時期が選ばれているように思う。ちなみにもともとは2013とされていたのだけど、これはマヤ暦の20対13の法則にかけてあって、マヤ文明の社会は13システムだったらしいのね。 今の世の中は12システムといって、どこまでもどこまでも人間を過保護に守ろうとする社会構造のことで、でもどこまでもそれを極めていくと、どんどん世の中は疲弊していって、結局はみな共倒れで、結局は戦争でケリをつけるとか、いやおうなしに自滅とか、まとめてリセットというやり方をするはめになる。キリスト的愛に目覚めた者が、最後はダメになるとしても命あるかぎり食い止めてやるというような、デビルマンみたいなやつ。 日本も大昔は13システムだったのね。過保護にせず、ある程度、切り捨てていく死を内包した社会。恐ろしい。 ところが2013から2012と呼ばれるようになった。最初は13を暗示していたシンボルが12に変更された。やっぱり13はいただけないということか。
ゼーレの連中は胎動のはじまった時代霊に、もう一発、ショックを入れて新しい時代の出産を促そうとしてるらしい。なんていうと、物騒な雰囲気かもしだすけど、半ば自然生起的に、こういう時間は設定されて表に出てくるだけの話で、そういう神話を用意する人々も結局のところは無意識層からの衝動ゆえに、それを行動にしているだけと見なすほうが妥当に思える。最初はささいなことなのよ。ちょっと一冊本が出たとかね。 でもそれを真剣に考える人々が多数出てくるというのは、著者がどうこう、出版社が宣伝したからいうまえに、人々が時代がそれを要請したからだ。 たくさんのマンガが出てきても、大ヒットするものもあれば、さっぱりなものもあるように、選び取ったのは大衆の側だから、それはきっとなにかハートにビビッっとくるものがあったのだ。ビビッとこなけりゃ、他の予言書同様に忘れ去られるだけのことで。 その時代時代における雰囲気がそういう人々を輩出するようにできているのだ。だからここでいうゼーレというのは、特定個人や組織を指すものではなく、 同じ精神ネットワークに属している人々の集合魂であり、それが持つ意志のことだ。