2009年3月アーカイブ

1999で人類は滅亡しなかったけど、そのあたりを境に変わったというのは確かだったりする。なにが変わったかというと世の中の雰囲気ね。インターネットの出現はかなり大きくて、ネット出現以前をふりかえると情報統制でもかけられていたかのようにも見えたりもする。そういうわけではないんだけどさ。  それまでは生まれ育った場所とその中で知りあった人々との交流が主で、まったく見ず知らずの人々が今のようにネットでメールをやりとりするような事はなかった。つまり小さな集団がパーテーションで仕切られていたのだが、その垣根が取り払われた。情報の流れ方が変わったんだよね。個人が情報を発信でき、また検索システムが充実するにつれ、それまでは見えずにいた情報に人々は気づきはじめた。ネット以前の状態と現在を対比し、それを相対化しつつある。ゆえにどんどん古いシステムが壊れつつある。

1999は終末ないしは変化を呼びたい人々の思念を結集するためのシンボルとして機能した。確かにそれまで言われていた、人類全体が滅亡するような巨大な厄災は起きなかったが、精神面では大きな変化は生じたといえる。  世紀の切替というのは、あまり目立った変化がないものだけど、それから10年20年して、その世紀の魂ともいえる時代霊が目覚め始める。2012年というのはちょうど頃合いのいい時期かもしれないし、数年くらいの誤差があっても、それはかまわないのだ。所詮シンボルだからね。どれくらいの規模なのかよくわからないけれど、今、さらなる変化をもとめている人々はかなり多いんじゃあるまいか。またそういう人々が2012のような目標としてのシンボルを求めたりもする。これは多数の群衆による儀式魔術のようにも見える。

 ある宗教団体は、毎年「富士山爆発しないでね」と祈りを捧げていて、「それゆえに富士山は爆発しないのだ」と信じているそうで、これは昔のインディアンだったか昔のアフリカ原住民だったかの話で、「わしらが毎日祈りを捧げるからお天道様が昇ってくれるんだ」、という呪術思考でもあったりするのだけど(笑)、大勢が願うようにする仕組みを作ってやると、その願いは成就するのかもしれない。ただしその成就は直裁には成就しない。精神世界の情報は、そこんとこ誤解していると、あらぬ方向に脱線していってクズ置き場に到着しちゃうので要注意だったりする。 願いとはアストラルやメンタル次元で働きかけるもので、それゆえに人々の集合無意識には作用するが、物質的な次元まで直接干渉はできない。しかし物質次元と形而上的次元の間を媒介する存在が居る。それが人間だったりする。

この次元の断絶はひねりが利いていて、富士山爆発しないでねというのは、自分たちの心の中で富士山がどういうシンボルになっているのかを考えるべき。それは教団にとってのご神体であったり、自分たちの心の拠り所であるかもしれない。広義に解釈すれは富士山は日本人全体にとっても、なにか民族としてまとめるイコンであったりする。それが破壊されないように、という願いとみなせる。(しかしそれはいつか爆発すると知っているから、逆に祈るのかもしれないな)。  太陽が昇りますようにというのは、心の中にある太陽が毎日昇りますようにということだったりする。部族一同平和に健康にくらせますようにといったところ。  富士山も太陽も物質でできているとはいえ、結局これが物質だといってるのは他ならぬ人間の意識なのだ。私たち人間は、結局は心の視野に再構築された、物質と呼んでいる「それ」の像をながめているにすぎない。願いをかけるといったとき、それは外にあるそれではなく、内に形成された感覚や概念に対して願いをかけているのと同義なのである。 本当に人類が滅亡しますようにという願いをかけてるなら、それはその人に滅亡が訪れる可能性のほうが高い。

 2012年のその日になりました。はい、天変地異も戦争も事件もなにもありませんでした。2012年にはなんの意味もなかったのです。あなた、だまされちゃったのよ、あはははは。というような思考法は、それが俗に科学的な視点と呼ばれているものかもしれないけど、この問題についてはそんな単細胞の発想法はやめて、どんなふうに人々の精神が変化していくか、その波をウォッチしたほうがいいと思う。  だいたい今にいたる大変化のトリガは92?94あたりにあったのね。もちろんこれはメンタルやアストラル次元で起きる変化のことだけど、これがファーストインパクトということにしておこうかな。  1999同様セカンドインパクトは2012に人工的に設定されているけど、根拠はともかくとしても、時期の取り方としてはなかなか良い時期が選ばれているように思う。ちなみにもともとは2013とされていたのだけど、これはマヤ暦の20対13の法則にかけてあって、マヤ文明の社会は13システムだったらしいのね。  今の世の中は12システムといって、どこまでもどこまでも人間を過保護に守ろうとする社会構造のことで、でもどこまでもそれを極めていくと、どんどん世の中は疲弊していって、結局はみな共倒れで、結局は戦争でケリをつけるとか、いやおうなしに自滅とか、まとめてリセットというやり方をするはめになる。キリスト的愛に目覚めた者が、最後はダメになるとしても命あるかぎり食い止めてやるというような、デビルマンみたいなやつ。  日本も大昔は13システムだったのね。過保護にせず、ある程度、切り捨てていく死を内包した社会。恐ろしい。  ところが2013から2012と呼ばれるようになった。最初は13を暗示していたシンボルが12に変更された。やっぱり13はいただけないということか。

 ゼーレの連中は胎動のはじまった時代霊に、もう一発、ショックを入れて新しい時代の出産を促そうとしてるらしい。なんていうと、物騒な雰囲気かもしだすけど、半ば自然生起的に、こういう時間は設定されて表に出てくるだけの話で、そういう神話を用意する人々も結局のところは無意識層からの衝動ゆえに、それを行動にしているだけと見なすほうが妥当に思える。最初はささいなことなのよ。ちょっと一冊本が出たとかね。  でもそれを真剣に考える人々が多数出てくるというのは、著者がどうこう、出版社が宣伝したからいうまえに、人々が時代がそれを要請したからだ。  たくさんのマンガが出てきても、大ヒットするものもあれば、さっぱりなものもあるように、選び取ったのは大衆の側だから、それはきっとなにかハートにビビッっとくるものがあったのだ。ビビッとこなけりゃ、他の予言書同様に忘れ去られるだけのことで。 その時代時代における雰囲気がそういう人々を輩出するようにできているのだ。だからここでいうゼーレというのは、特定個人や組織を指すものではなく、 同じ精神ネットワークに属している人々の集合魂であり、それが持つ意志のことだ。

 すこし前だけど三回忌の法要に出席した。毎度のことだけど般若心経を全員で唱和する。漢文を読み上げるのだけど、これだけ聞いていると呪文にしか聞こえない。意味も分からない。
 ところで般若心経は三蔵法師がインドから持ち帰ったお経だけど、元はサンスクリット語で書かれていて、それを三蔵法師はインドにいってサンスクリット語を学んで中国語に翻訳した。そしてそれが日本に伝わった。
三蔵法師はやっぱりかなり頭が良い人だったんだろうな。 だって徒歩でン千キロ旅して、見知らぬ国にいって限られた期間で、そこで当地の言葉で読み書き自在になって、そこの教典を持ち帰って、どんな教えなのかちゃんと理解して母国の人々に解説できなきゃいけないわけで。しかもまだ母国では知られていない知識を。だれか先人がいるならまだ楽だけど、いないところでそれをしろといわれたらかなり大変。かなり優等生でないとそういうことは無理。
 しかし漢文で書かれたものは、やっぱり素人には難解だ。今は幸いにもサンスクリットから直接日本語に現代語訳されたものが読める。で、それを読むとかなりぶっ飛んだ内容なのだわ。
 簡単にいうと、ある日、求道者の聖なる観音様が、四次元の意識に覚醒して、三次元のこの世界はすべて四次元の影であり、その意味で三次元世界のすべてが幻なのだといったのね。私の超訳だと。(笑)
カメラのファインダーに、三次元世界が2Dとなって映るように、 上位次元の影がこの世界なんだと悟った、というような事を書いてある。カメラのファインダーに投影された世界は3Dが2Dに変換されたものであって、2Dに汚いものが映ろうが、美しいものが映ろうが、ファインダーの2D面が汚くなったり美しくなったりしないように、四次元の影が三次元となって顕現しているこの世界も、それと同じ理屈なんだよ。だから四次元の境地からみれば、三次元の苦楽など幻に等しいんだよって、まあ、そんなふうに解釈できるのだった。
いわゆる悟りの境地に達すると、このように世界は見えるらしい。
 
法要の席では呪文のように唱えているお経も、こうして意味がわかるような形になって出てくると、いろいろいいたいことが出てくるかと思うけど、このような教えを長年、日本人の多くは拠り所にしていたりする。
しかしあながちデタラメな話ではないような気もするのだった。いやむしろかなりリアリティを感じる。
それで仏教が説くところによれば、人はこのような四次元意識に目覚める事が可能らしい。
四次元というのは三次元に時間軸を追加したものだけど、四次元意識に入ると時間概念が大幅にかわるらしい。覚者たちは、現在、過去、未来、あらゆる時間軸に浸透して世界を見ることができるらしいのだ。
それがどういうことかって、私は四次元意識を知らないし、知っていたところで三次元世界でうまく表現できるようなものでもない。三次元におろすとそれはみな影になってしまって、不完全にしか表現できないから。かろうじてうまいこと説明したのが般若心経といえるかもしれない。
四次元意識でみた現実ってものがどんなものかは覚者のみ知るといったところ。
 しかし、よーく般若心経の言ってる意味を考えてみると、やっぱりなんか深いものを感じずにはいられないのだ。きっとね、四次元意識ってのはあるんだよ。普通は隠されているか、気づかないだけで。

 ある人から大手の宗教団体の大集会に参加した話を聞いた。大きな組織だから参加者多数。 衛星回線で教祖様の説法が全国支部の会場に中継され、それを皆でみたりするんだって。
 ところがその説法があまりにあたりさわりのない、無難で退屈な内容だったので、その人はすぐに爆眠してしまったのだそうな。映画館で寝てしまうようなものね。大勢いるから寝ていてもあまり問題ない。
 これくらい大きな宗教になると、信仰心とか教義の内容とか、そういう話は二の次で、人々の交流の場、互助会的な意義のほうが大きい。
 ところでもし教祖様が、ほんとにすごーく面白い感動的な説法をしたらどうなっちゃうんだろう。一流芸人のショーや人気アーティストの歌なら、もうみんな大熱狂してしまうわけだけど、教祖様がそんなふうに、ほんとに人々を感動させ信仰心をふるいたたせて、萌え萌えになるような説法をしたら・・・。もう大変なことになっちゃうんだよね。面白すぎてみんな熱心に信仰に打ち込み、それに人生捧げてしまう人々がわんさか出現する。そうなってしまうと自動的にカルト認定されてしまう。なにも悪いことしてなくても。いやすごく世のため人のためになっていたとしても。
 お魚くわえたドラねこ追いかけて、「やだ、あたしったら裸」とか、おもしろすぎるオチのサザエさんは禁止。裸じゃなくて裸足くらいで止めとかなきゃいけない。あまり大きな宗教でおもしろすぎる説法は禁止なの。

今日は暖かいような寒いような、空気の中に冷たいのと暖かいのがまざっていて、
まるでそれが縞々模様になって流れているような感じの日。
 


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