うちの連れを被験者にして誘導。
あらかじめ用意した台本を読みながら誘導してみたが、「ぜんぜん集中できない」と不評。「セリフは棒読みだし、内容もわかりにくい」という。
それで台本を捨てて、いつもどおりぶっつけで行ったら、「こっちのほうがずっといい」と言う。台本書くのに使った時間は無駄だった。
とはいっても、ぶっつけで誘導したセリフと、頭でこしらえた台本のセリフを「読み比べ」れば、台本のほうが文章としては優れていると思った。
でも、誘導に適した言葉かどうかはまったく別問題らしい。
台本を作るとき、書き言葉で思考して自己完結したものを書いてしまう。
だれかに語りかけるときの言葉は、書き言葉と似ていても非なるもので、被験者の声なき声を共感によって感受し、語りかける言葉に反映させている。
そんな違いから、できあがるソースには、微妙だけど決定的違いが生じるらしい。
被験者を前にして、相手のオーラも含めての様子を感じ取りながら誘導すると、被験者の集中力がまったく違ってくる。
台本を読んでいるのと、実際に相手に話しかけるのでは意味がまったく違う。
話しかける行為には、両者のオーラ的共感が介在している。
たとえ被験者が一切返事をしないとしても、そこにはラポールが生じている。
そういう状態で被験者のオーラを読めば、誘導の最中、被験者がどんな状態にあるのかもだいたいわかる。<自己の星>が移動してるのすら<見える>。
これは共感呪術に属するものだ。
そんなわけで、ライブを録音したものを、テープ起こしして修正をかけて、それをさらに頭にたたき込んでまた誘導、これを繰り返して完成度を上げようと思う。
さて、そのように作られたソースをCDで流通させたとき、他の人々にも同じような共感は生じるのだろうか。私はおそらく生じると思う。少なくとも頭だけで作られたセリフ棒読みの誘導より、ずっとよいものになると信じる。
「怖い噂」という雑誌で、幽体離脱の特集をするらしい。それで先日、インタビューを受けた。インタビュアーは「大人の怪しい実験室?都市伝説の検証」をお書きになった、川口友万氏。
実はこの本は、本屋でみかけて手に取らずにはいられなかった本で存在は知っていた。ミミズハンバーグとか、毛髪で醤油を作るとか、昆虫食とか、犬肉を食べるとか、母乳でルミノール反応は見られるのかとか、電磁波は本当に体に有害なのかとか、体当たりで実験したレポートの数々。
あれこれ実験するのが好きな私も、この本に書かれている怪しい実験は、追試してみる気にはなれないのだけど(笑)、好奇心は120%満たしてくれる本。
毛髪醤油は、毛髪を塩酸で溶かして、水酸化ナトリウムで中和する。すると塩とアミノ酸になって、それが醤油のような味がする。昔、理科の実験図鑑で、カマボコを原料に、同じ手法で醤油を作るというのを見たことがあるけど、毛髪でもできるらしい。
「中華街でサソリの唐揚げが売っていた」と、うちの連れが買ってきたことがあった。真っ黒けの姿揚げ。串に刺して揚げてあった。
何度もためらいながら、ぞわぞわしながら食ってみた。味がなかった。強いていえば、なにか金属っぽい味がした。まずい。
でも、その後で、なぜか元気が出ることに気づいた。
サソリに強壮剤のような効能があるわけではない。心の中で規定している食のタブーを破ることが、心理的な効果をもっているらしい。おぞっけの走るような行為は、潜在意識の深いところに働きかけて、非常に重たい感情を刺激する。それが起きると今度は反動で、ハイが訪れるらしい。
ただしこれは、たまにするから効き目がある。毎日のようにやってれば、すぐに慣れっこになってしまう。そうなるともう効かない。かといって「もっと大きな刺激を!」とエスカレートさせていくのも考え物だったりする。
川口氏は幽体離脱に興味をもっていたが、「ただの空想とか普通の夢と同じなのではなかろうか」、というように考えたりもしたらしい。
それで説明したのだけど、「体験がなく、感覚的なものだから今ひとつよくわからない」ようだった。
ミミズハンバーグなら、作って食べさせてあげる(笑)という方法が使えるけど、幽体離脱は自分で離脱して味わってもらうしかない。幽体離脱を人に伝えることは難しい。でも経験がある者同士なら、共感を通じてすぐに了解しあえると思う。
あらゆる「経験」は、自分でやってみない限りわからない。経験は共感を通じてのみ、理解しあえるだけだ。ミミズの味もサソリの味も、詳細に記述されたものを読んでも分かることは無い。想像することができるだけだ。
川口氏が、原稿の締めきりまでに幽体離脱できることを、心より願っています。
薄汚れたステンレスのヤカン。かなり丈夫な品でもう十年以上使っている。買った当初は鏡面仕上げのピカピカだったのだが、長年の使用でもうみるかげもない。水あかもたまって、こすっても落ちない。これまで何度か金属磨きで手作業で磨いたことがあるのだけど、毎回ずいぶんと手間と体力を消耗するし、完全な鏡面に回復させることはまず無理。
買い換えようと思い、ホムセンに見にいくと、千円くらいと安いのだけど、作りも安っぽいしデザインもダサイ。
それでふと、「今のヤカンを電動工具で磨いたら......」と思い立ち、ディスクグラインダーをホムセンでレンタルして、研磨剤とバフでゴリゴリ磨いた。
初めは、「あっというまに新品に戻るはず」と思ったのだけど、それは甘い考えだった。
鏡面仕上げは非常にデリケートで高度な技術だったのだ。クレンザーなどでこまかい傷のついたヤカンを、鏡面仕上げ用の微細な研磨剤でいくら磨いても、決して鏡面には戻らない。
結局、粗仕上げ用、中仕上げ用、仕上げ用と三段階、研磨剤を変えながら磨きなおすはめになった。
ディスクグラインダーはけたたましい騒音!
大工道具は騒音対策なんて考えられていない。
飛び散る研磨剤と金属粒子であたりはどろどろ。
まあでも、一応、買った当初のピカピカヤカンには戻った。
しかし研磨剤やバフなどにかけたコストをあわせると、高級ヤカンをもう一つ買えるくらいかかってしまった。
しようがない。まだもう一つヤカンは残っているし、圧力鍋もみがきなおして元を取ることにしよう。
ヤカンの底に貯まった水あかは、クエン酸を使うと見事に落ちる。水を入れて、大量にクエン酸を溶かして一時間くらい弱火で煮沸。その後、24時間放置する。タワシで磨いても絶対おちない水あかが、きれいに溶けてしまう。ただしこの方法はアルミのヤカンには使えない。酸に耐えられずアルミが腐食する。
水あかは、水道水に含まれるカルシウムやミネラルが固まったもの。ミカンや多くの果物には、クエン酸がたくさん含まれているけど、おそらく、土の中のミネラルを溶かして、親木の根や、発芽したタネの根がそれらを吸収しやすくなるように、クエン酸を持っているのかもしれない。
ダークミラーのページには新しいコンテンツを 追加したが、しばらくブログの更新が止まっていた。
執筆に適した環境作りをと、ガラクタを捨てて大掃除をしたり、部屋の模様替えにいそしんでいた。
その間、ブログにかけそうなネタは色々とあったのだけど、「これは次の本のネタにとっておこう」などと表に出すことをためらってしまう。しかし後からおもうと、さっさと出していくほうがよいのかも。
出し惜しみすると、ブログは簡単に止まってしまう。
これまで百年分の占星術用天文暦作成の仕事をしていた。とにかく間違いがあってはいけない仕事なので何度も検査して神経を使う。計算をはじめると時間がかかり、その間、マシンが占有されてパソコンが使えなくなる。間違いがあったらまたやり直し。
だからその間、掃除していたのだった。
まあ、ほんとに使えなくなるわけじゃないけど、他のアプリを使っていると、その分、計算時間は取られるし、フリーズするようなトラブルが起きると、それまでの計算がパーになるので避けていた。
幽体離脱CDを作る話にちょっと可能性が見えてきた。私にわざわざ会いに来てくれた方が、なぜか音楽系の仕事をしている方だった。話をふってみたら、協力していただけそうな感じ。
でもそのまえに台本を作らないといけない。幽体離脱講座で何度も誘導はやったので、これも一気に作ってしまうつもり。
それから第二弾の項目立て。これは途中まで作って寝かせている。
文筆の仕事は、農業だと考えると腑に落ちる。
農業は、生き物を育てる仕事だから、工業のように正確に計って製品を作るようなことができない。生き物には生き物の都合や自然界のリズムで動いていて、人間はそれをうまく補助するように働きかけるしかない。
文章は生き物で、書いているうちにもどんどん姿を変えていく。書き上がってみると、最初に予想していたものと大きくかけ離れていたりする。卵細胞が分裂して体を作っていく間に、時々大きく形をかえるけど、文章が生まれてくる過程に私はそのような変容のプロセスを見るように思う。
こういう目で見ていくと、出版業界の特殊性とか、ちょっとルーズにみえる面も、それなりの理由あってのことなんだなと分かってくる。自分も書く側にまわると、そのほうが都合がよかったりする(笑)。
項目立ても、もう少し季節が移ろえば、見えてくるはず。
本の魂は無意識の底で根を張り、やがて芽を出すだろう。
・・・うーん、甘いかな(笑)。
仕事はいつになく多く貯まっているのだけど、どーもまだエンジンかからない。
火星逆行中だし、旧暦新年もまだ先だから、もうしばらくはこんな調子かな。
エンジンがかからないので、大掃除やリフォームにあけくれています。
幽体離脱入門の第二弾も書かなければいかんのだけど、一作目執筆中は二作目があるなんて想像だにしてなくて、「これを逃したらもう二度と書くチャンスはないだろう」と、もってたネタを大放出しちゃったので(笑)、さぁ次はどうしたものか......考え中。
大阪で会った幼なじみの友達がね、映画にはまってたんですよ。
酒がはいると、熱っぽく語りつづけるのだった。
私は最近あまりみてなくて、話についていけない。
だから、ひさしぶりに見てみた。
■スタートレック
若き日のスポックやカークやマッコイ、その他クルーが活躍するお話。
私らの世代、つまり中年おやじになってもスタートレックを見たい人、ノスタルジィにひたりたい人のために作られたような映画。古い作品のイメージを壊さない。お話も過去のエピソードにリンクさせながら、ディズニー映画のように安心してみていられる無難な内容。
うん、たのしかったよ、なつかしかったよ、ありがとう。でもそれだけ。
自分がさらに歳を取ると、こんな映画も作られなくなるんだろうな。八十過ぎぐらいまで生きていたとしたら、そのころには若き日に親しんだ「お話」は、まったく話題にならなくなっているはず。「のらくろ」が3DCGアニメで復活なんてのはまずあり得ないように。それはそれで寂しいだろうなと思った。復活があるうちが花。
(八十過ぎても、ガンダムはまだやってたりして)
■少年メリケンサック
駆け出し女性プロデューサーが、ネット動画で目をつけたパンクグループをプロデュースする話。
しかし、それはずっと昔に撮影された動画で、見つかった元メンバーは、みなヨレヨレのトホホな中年おやじになっていた。しかしネットの人気に乗って、全国ツアーに出ることに。しかしひどいコンサートにヒンシュクの嵐。それでもさらに・・・
■新世紀エバンゲリオン(テレビシリーズ最終回とその前回の作)
映画もあるけど、テレビシリーズのときが一番、力がこもっているように思う。ラストの締めくくり方も、テレビのでよかったのでは。荒っぽいもっていきかただけど。
この力のこもり方は、声優のテンションの違いなのかな。
テレビシリーズのとき制作陣には、天使が降りていたのかも。
少年メリケンサックが面白かったな。
ひと月前に大阪に帰省したが、ひと月後、親戚のお葬式がありまた帰省。
大阪梅田の紀伊国屋をのぞくと幽体離脱入門はまだ平積み。
一冊手にとって奥付けをみると第2刷となっていて、この前増刷した分がすでに流通している。
お葬式で親戚一同集まったところで、
「今なにやってんの?」なんて訊かれると、
「最近は文筆業ですよ」などと答える。
一番近しいおじさんには、「こんな本ですよ」と携帯サイトをみせた。
「おおっ、これはおもしろそうだ。売れるんとちがうか?」
「ええ、おかげさまで」
こんどはそのおじさんの息子の娘さんに見せると、ちょっと興味を示して
「この『幽体離脱のやり方』ってところ読んでもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
するとおじさん、その娘さんにむかって、
「あんまりこういうのにのめり込んだらあかんで(しかめっ面)」
「おっ、本音が出たな(笑)」と私。
興味がある人には面白い本だけど、興味が無い人にはいかがわしい本。
親御さんにとっては、子供には読ませたくない本かも(笑)。
高校生はともかく小中学生が欲しがったらきっと困惑するだろうな。
でも、読んでから判断して下さいね。
未知のものはなんでも怖いから、無意識的に笑ってスルーしがちです。
笑いとは恐怖への反射行動だから。
無意識の反射を自覚して、あえてそこに首をつっこむから、新しい知識も手に入る。
そういうことをしなくなった人は、安住の眠りの中で急速に老いていく。
若いうちからこんなメンタリティだと、狭いタコツボのような世界から飛び出すこともなく退屈な一生になる。
必要なのは、ほんの少しの勇気です。
昨日はアールズ出版の編集者と打ち合わせ。
お互いニコニコ顔。
「読者ハガキは戻ってきてますか?」と訪ねたら、
「ええ。予想外に年配の方々が多いです。大好評です」とのこと。
ネットを空気のように使える人々は、メールで来るけれど、年配の方々はこまめに読者ハガキを返してくれるようです。ありがとうございます。
本が出て、さらに新聞広告まで出ると、「ネットをあまり使わない人々にも」、「ネットを使っていても幽体離脱というテーマに積極的に関心を向けた事がない人々にも」注目して頂けるようです。
幽体離脱入門をウェブで公開してから七年が経過しています。しかし、練習すればできることを知らない人々が、ネットにもまだ大勢いることがわかりました。
本が出てから毎日検索して、宣伝の反響やブログ等に書かれた読書感想などをウォッチしていました。面白すぎて、他の仕事が手につかない(笑)。
でも、それも終わりにします。
「第二弾、早めに行きましょう」と編集者。
「そうしましょう」と私。
出版直後に見た、流れ星二回明滅は、このことだったのかな。
携帯不携帯で通してきたけど、最近いそがしくなってきたので携帯買った。
どちらかといえば新しいデジカメが欲しかったのだが、「携帯にデジカメもついてるしなっ」てことで今回はよしとした。
携帯ってものをよくしらないので、画素数1000万画素などという歌い文句と、店員のオススメだったので選んだ。本体価格はもちろん1円だ。
撮影してみると、のっぺりした質感。奥行きってものがまったくない。ピンホールカメラのような画風?
あらためて調べてみると、3ミリ程度のレンズがついているだけ。これだといくら画素数があったところで意味ねーじゃんか(笑)。冷静に考えれば、そんなことはじめっから分かりそうなものなのに。
まったく知らない状況下だと、こんなオバカな選択の仕方もしてしまう。
でもトイカメラだって割り切れば、それなりに使えそう。専用デジカメと比べるからいけない。
カメラなんかどうでもいいから、文字が打ちやすい機種にすれば良かった。買ったやつはキーがフラットで間隔も詰んでいて打ちにくい。
店員のお兄さんが詳しいので、週一くらいで通って、携帯のお勉強してます。
まったく未知のソフトや機械の使い方をおぼえるとき、「そのブツで出来ないこと」を調べるのが難しい。
出来ることを調べるのは簡単。マニュアルにも書いてあるし検索すれば出てくる。
出来ないことは、マニュアルを隅々まで読んで書いてないから出来ないんだなという判断になる。
だから時間がかかる。
よく知ってる人がそばにいると、出来ないことがすぐわかる。
携帯はどこの会社も価格は大差ないし、店によって大幅ディスカウントも無い。
販売員の質が問われる業界かもしれない。
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