10.幽体離脱は脳内幻覚なのか?

 この問いの前提からいえば、物質世界も脳が見ているわけですから、物質世界も幻覚というものです。正しいと信じる幻を見ているだけです。
 般若心経を要約すると「すべては幻である」ということになるのですが、そういう意味あいですべては幻です。
 魔術的にとらえると、意識がどの世界の幻を見ているか、物質界なのかアストラル界なのか、という違いです。モンロー氏なら「フォーカス」というでしょうし、精神世界で一般的な言葉でなら「同調している世界の波動(振動数/周波数)の違い」というでしょう。とはいえ、これらは交錯し混乱していて、まったく同じと言い切るのも無理がありますが、元々混乱している界隈です。
 「脳が幻覚を見ている」というとすぐに分かったような気になりがちですが、「脳」という言葉は昨今、ただ「意識とその在処」を指し示すシンボルとして使われているにすぎず、意識がとりあえずそこにあることにしておく」程度の意味しかありません。
 脳細胞をいくら調べたところで、そこに見えてくるのは物理学的・化学的物質で構成された機械的構造のみであり、意識もクオリアも決して見つかりません。なぜ脳細胞がクオリアや意識を生み出すのか、そもそも脳細胞がそれらを生み出しているのかすら、なんら確かな事は分かっていません。意識の活動に脳は大きく関与しているとは言えますが、肝心の仕組みは相変わらず謎のままです。
 森羅万象を脳細胞が見ているのではなく、意識が見ているのです。意識の他にも「心」「アウェアネス(気づき)をもつ者」「見る者」「精神」「魂」様々な呼び名がありますが、そういう不可視の実体が見ているのです。意識から見たとき脳髄は道具的存在にすぎません。
 オカルティズムでは意識の働きを「脳」や「クオリア」といった言葉でひとまとめにするのではなく、エーテルやアストラルといった概念を持ち込み、意識の層を細分化して対象化し扱ってきたのです。クオリアなどの概念が出てくるずっと昔からです。 戻る  講座  HOME